「DNAでメモリを作った。消費電力は100分の1」。この見出しが8月中旬にいくつもの技術メディアを流れました。生体分子と半導体を貼り合わせて記憶素子にする、という話です。動作電圧は 0.1V未満。乾電池どころかリチウム電池1本にも遠く届かない電圧で、電子が素子の中を安定して流れたと報告されています。

面白い題材ですが、同時に 数字がとても扱いにくいニュース でもあります。「100分の1」「10分の1」「1グラムに2.15億GB」という3つの数字が同じ記事の中に並んでいて、それぞれ比較対象が違い、そのうち1つはこの素子の性能ですらありません。研究段階のニュースで一番やってはいけないのは、この3つを混ぜて読むことです。

この記事では、公表されている一次情報(大学の公式リリース、論文の書誌情報とアブストラクト、助成プロジェクトの概要)から確認できることだけを積み上げます。そのうえで「メムリスタとは何か」「in-memory computing とは何か」を順に押さえ、いま店頭で起きているメモリ高騰・大容量化の話とどう地続きなのか、そして製品になるまでにまだ何が分かっていないのかまで見ていきます。

🧬 1. 何が報告されたのか — まず事実関係

公表資料から確認できる要点です。

項目 内容
論文タイトル Molecularly Engineered Highly Stable Memristors with Ultra-Low Operational Voltage: Integrating Synthetic DNA with Quasi-2D Perovskites
掲載誌 Advanced Functional Materials
DOI 10.1002/adfm.202530539
論文公開日 2026年1月19日
大学リリース ペンシルベニア州立大・2026年2月24日
中心研究者 Kavya S. Keremane(博士研究員)/Bed Poudel(研究教授)/Neela H. Yennawar(研究教授)
素子の種類 メムリスタ(不揮発の抵抗変化素子)
材料 銀ナノ粒子を含む合成DNA + 準2次元(quasi-2D)ハライドペロブスカイト
知的財産 特許出願済み
資金提供 米国立科学財団(NSF)、米国立衛生研究所(NIH)、ペンシルベニア州立大、ミネソタ大

先に時系列をはっきりさせておきます。この研究自体は2026年の年明けに公開されたもの です。

  • 2026年1月19日 — Advanced Functional Materials に論文が公開
  • 2026年2月24日 — ペンシルベニア州立大が公式ニュースリリースを配信
  • 2026年8月16〜17日 — ScienceDaily などが取り上げ、あらためて拡散
⚠️ 「8月の新発表」ではありません

8月中旬に流れた記事の多くは、2026年2月の大学リリースを元にした再掲です。論文の公開は1月、リリースは2月。新しい実験結果が8月に追加で公表されたわけではありません。

研究ニュースではよくある流通のしかたで、内容が古いという意味ではありませんが、「最新の発表」として読むと時期を取り違えます。本記事の数値はすべて1月の論文と2月のリリースに基づいています。

研究チームは、計算機で設計した合成DNA配列に銀イオンを導入し、ペロブスカイト半導体と界面でうまく噛み合うように分子レベルで作り込みました。要するに、DNAを「遺伝情報の担体」ではなく「プログラム可能なナノ材料」として使う という発想です。

🔀 2. メムリスタとは — 抵抗・コンデンサ・コイルに続く4番目

まずここを押さえないと、以降が全部ぼやけます。

電子回路の受動素子は長らく3つでした。抵抗(R)コンデンサ(C)コイル(L)。電圧・電流・電荷・磁束という4つの量の関係で整理すると、この3つでは埋まらない組み合わせが1つ残ります。1971年、レオン・チュア(Leon Chua)はそこに 電荷と磁束を結びつける第4の素子 があるはずだと理論的に指摘し、memory と resistor から メムリスタ(memristor) と名づけました。実際に「これがそうだ」と言える素子が実験的に報告されたのは2008年、HP研究所の金属酸化物薄膜によるものです。

素子 関係づける量 性質
抵抗 R 電圧 ↔ 電流 流れにくさ。電源を切れば何も残らない
コンデンサ C 電圧 ↔ 電荷 電荷をためる
コイル L 電流 ↔ 磁束 磁束をためる
メムリスタ M 電荷 ↔ 磁束 抵抗値そのものが、流した電荷の履歴で決まる

メムリスタの肝は最後の行です。「いま何Ωか」が、これまでに流した電流の履歴で決まる。 そして電源を切ってもその抵抗値が保たれます。抵抗が高い状態を0、低い状態を1と決めれば、それだけで 電源不要で記憶が残るメモリセル になります。

💡 ワード解説:不揮発(ふきはつ)

電源を切ってもデータが消えない性質のことです。SDカードやSSDに使われるフラッシュメモリは不揮発、PCのメインメモリ(DRAM)は電源を切ると消える揮発性メモリです。DRAMは中身を保つために リフレッシュ と呼ばれる読み書きを常時繰り返しており、これが待機電力を食い続けます。不揮発メモリはこの常時消費が原理的に不要になります。

ReRAM との関係

「それ、ReRAMのことでは?」と思った人は正しいです。ReRAM(抵抗変化型メモリ、RRAM)は、メムリスタ的な振る舞いをするデバイスを実際のメモリとして製品化しようとしている一群の技術 を指します。メムリスタが理論側の概念、ReRAMが実装側の呼び名、というのが実務上の距離感です。

動作の原理としてよく使われるのが 導電フィラメント です。絶縁体の薄膜に電圧をかけると、金属イオン(銀や銅)や酸素欠陥が移動して、膜の中に細い導電路が架かります。架かれば低抵抗、逆向きの電圧で切れば高抵抗。この「架ける・切る」を、少ないエネルギーで、毎回同じように、何度も繰り返せるかどうかが素子の実力になります。

flowchart LR A["高抵抗状態 HRS = 0"] -->|"SET: 電圧を印加してフィラメントが架かる"| B["低抵抗状態 LRS = 1"] B -->|"RESET: 逆向きの電圧でフィラメントが切れる"| A B -.->|"電源を切っても状態は保たれる"| B

今回の研究が狙ったのは、まさにこの「毎回同じように」の部分です。導電フィラメントは自然に任せると架かる場所も太さもばらつき、素子ごと・サイクルごとの特性差になります。DNAを分子の定規として使い、フィラメントの架かり方を揃えにいった、というのが技術の中身です。

🧠 3. in-memory computing とは — なぜ「同じ場所で」が効くのか

もう1つの前提です。こちらは素子ではなく、計算機の構造の話になります。

いまのコンピュータはほぼすべて フォンノイマン型 です。データを置く場所(メモリ)と、計算する場所(CPU/GPU)が分かれていて、計算のたびにデータをメモリから取り出し、計算し、書き戻します。この往復が性能と電力の足かせになる現象を フォンノイマンボトルネック と呼びます。

直感に反するかもしれませんが、現代のプロセッサでは「計算そのもの」より「データを運ぶこと」のほうが電力を食う場面が普通にあります。 積和演算そのものは1回あたりごくわずかなエネルギーで済むのに、その数値をメモリから引っ張ってくる配線の充放電に、その何十倍もかかる。AIの推論のように「大量の重みを、比較的単純な演算にひたすら通す」処理では、この非対称が効いてきます。

flowchart TD subgraph V["フォンノイマン型:運ぶたびに電力を使う"] M1["メモリ:重みを保存"] -->|"読み出して転送"| C1["演算器:掛けて足す"] C1 -->|"結果を書き戻す"| M1 end subgraph I["in-memory computing:置いた場所で計算する"] M2["メモリ素子アレイ:抵抗値そのものが重み"] --> R2["電圧を印加すると電流が答えになる"] end

in-memory computing(インメモリ・コンピューティング) は、この往復をやめる発想です。メムリスタのアレイでは、各素子の抵抗値をそのまま「重み」として使えます。行に電圧をかければ、オームの法則で電流が流れ、列で合流した電流はキルヒホッフの法則により 電圧×コンダクタンスの総和 になります。これは行列とベクトルの積そのものです。つまり データを動かさずに、素子が並んでいる場所で積和演算が終わる

脳のニューロンとよく比較されるのはこのためです。シナプスは情報を保持しつつ、その強さ自体が計算に参加します。記憶と計算が分かれていない。メムリスタのアレイはその構造に形が似ています。

⚠️ ただし今回の素子で in-memory computing が実証されたわけではありません

「メムリスタは記憶と処理を同じ場所で行える」というのは メムリスタというデバイス一般の性質 として報じられている説明で、今回の論文がアレイを組んで演算タスクを走らせた、という記載は公表資料からは確認できませんでした。

一方で、この研究を支えているNSFの助成プロジェクトは SemiSynBio-III: Novel Memory Devices for High-Density Data Storage and In-Memory Computing Based on Integrated Synthetic DNA-Semiconductors という名称で、in-memory computing を明確に目標に掲げています。「目指している方向」と「今回実証されたこと」は分けて読むのが正確です。

⚗️ 4. DNAが電子部品になる理屈

ここが技術的にいちばん面白いところです。DNAを使うと聞くと「塩基配列にビットを書き込むのか」と想像しがちですが、今回の使い方はそれとは違います。

論文アブストラクトの記載によれば、素子の構成はこうです。

flowchart TD E1["上部電極"] --> D["銀ナノ粒子を含む合成DNA層"] D --> P["PEAI 分子による界面の固定"] P --> Q["準2次元 quasi-2D ハライドペロブスカイト層"] Q --> E2["下部電極"]

鍵は 界面の作り込み です。PEAI(フェネチルアンモニウムヨージド)という分子が接着剤の役割を果たし、2種類の力でDNAをペロブスカイト表面に固定します。1つはDNA末端の核酸塩基との π-πスタッキング(芳香環どうしが重なって引き合う力)、もう1つは NH3+ と I− の静電相互作用 です。この2つが同時に効くことで、DNA分子が表面にきれいに整列し、界面が強く結合します。

なぜそこまでするのか。アブストラクトは、3次元ペロブスカイトで見られる Pb2+ と PO4−(DNAのリン酸骨格)の弱い相互作用 を引き合いに出しています。弱い結合では分子の並びが乱れ、導電フィラメントの架かり方もばらつく。分子を整列させれば、フィラメントの形成が安定し、スイッチングのばらつきが減る。 論文が主張しているのはこの因果です。

その結果として報告されているのが次の3点です。

得られた性質 内容
forming-free な抵抗変化 初回に一度だけ高い電圧をかけて通り道を作る「フォーミング」工程が要らない
低い動作電圧 動作に必要な電圧が0.1V未満まで下がった
環境耐性 準2次元構造が水分を遮り、湿気に弱いというペロブスカイトの弱点を補う
💡 ワード解説:準2次元(quasi-2D)ペロブスカイト

ペロブスカイトは太陽電池でよく知られる結晶構造の半導体です。「準2次元」は、無機の層のあいだに大きな有機分子(今回はPEAI由来のもの)を挟み込み、層状に近い構造にしたものを指します。3次元のペロブスカイトに比べて 水分や酸素に強く、界面を分子で設計しやすい という利点があり、太陽電池でも耐久性を上げる手法として使われています。

つまりこの研究におけるDNAの役割は、情報の保存媒体ではなく、銀を運び、分子を整列させ、界面を規定する「配線可能なナノ構造材料」 です。設計した配列どおりに自己組織化してくれる分子として使っている、と読むのが正確です。

📏 5. 数字の出どころを切り分ける

ここが本記事の核心です。報道に出てくる数字を、何と比べた値なのか/この素子の性能なのか で並べ直します。

数値 何を指すか 比較対象 この素子の性能か
0.1V未満 動作電圧 絶対値。リリースは家庭用コンセントの120Vと対比 ✅ この素子
消費電力 100分の1 消費電力 従来型の記憶デバイス(フラッシュメモリを例示) ✅ この素子
消費電力 10分の1 消費電力 同種の既存技術(同等のメモリ機能を果たすもの) ✅ この素子
約121℃(250°F)近くまで動作 動作温度 既存のペロブスカイト系素子の水準を上回る、との説明 ✅ この素子
室温で6週間以上機能 安定性 同上 ✅ この素子
1グラムに約2.15億GB 記憶密度 ❌ DNA一般の理論値
⚠️ 「1グラムに2.15億GB」はこの素子の容量ではありません

この数字は、大学リリースが 研究の動機 として挙げている「DNAは自然界でもっとも効率のよい記憶媒体である」という一般論の根拠です。塩基配列そのものにデータを書き込むDNAストレージの理論的な密度 であって、今回作られたメムリスタ素子の記憶密度として測定された値ではありません。

リリースは素子について「記憶容量は従来型の記憶デバイスより高い」とPoudel氏の言葉で述べていますが、その具体的な数値は公表資料に見当たりません。「DNAメモリだから1グラムに2.15億GB入る」と読むのは、2つの別々の話をつないでしまっています。

「100分の1」と「10分の1」が並んでいるのも、矛盾ではなく 比較対象の違い です。フラッシュメモリのような一般的な記憶デバイスと比べれば100分の1、同じくメムリスタ型の既存技術と比べれば10分の1、という2段構えの説明になっています。前者だけを取り出すと過大に、後者だけを取り出すと過小に響きます。

なお、これらの電力比の測定条件(どの動作を、どの容量で、どの状態と比較したのか)は、大学リリースにもEurekAlert配信版にも記載がありませんでした。 論文本体は購読が必要で、本記事の執筆時点では条件の詳細まで確認できていません。数値を引くときは「大学公式リリースでの主張」として扱うのが妥当です。

同じ理由で、書き換え耐久回数(endurance)とデータ保持時間(retention)の具体的な数値も公表資料からは確認できませんでした。 アブストラクトは準2次元構造によって耐久性と保持特性が改善したと述べていますが、サイクル数や保持時間の値は公開範囲に含まれていません。

💾 6. 「メモリの現在」との対比 — 価格と密度の戦い/エネルギーの桁の戦い

当サイトでは今年、メモリの話を何度も書いてきました。メモリ高騰が電子工作を直撃した件その続報、そして数日前にはキオクシア×サンディスクの第9世代2Tb QLCを扱いました。並べると、いま2つの戦線が同時に走っていることが見えてきます。

製品の最前線(2026年) 研究の最前線(今回)
主戦場 ビットあたりのコストと密度 1回の読み書きに要するエネルギー
具体例 332層の積層、CBAによる貼り合わせ、QLCの多値化 動作電圧を0.1V未満へ、分子で界面を規定する
効いてくる場所 SSD・スマホ・AIデータセンターの容量と単価 待機電力、エッジ推論、電池駆動機器
時間軸 数か月〜数年(サンプル出荷・量産) 不明(研究室での実証段階)

キオクシアの第9世代は「新しいメモリセルを作らずに、周辺回路だけ最新世代に載せ替える」という投資効率の勝負でした。同じ土俵の中で、いかに安く、いかに詰め込むか。 一方で今回の研究は、そもそも記憶1回あたりのエネルギーを桁で落とせないかという問いです。土俵が違います。

どちらが偉いという話ではありません。むしろ、価格と供給の話ばかりが目立つ年に、エネルギーの桁を変えにいく研究が並行して走っていること自体が、読者にとっては良い材料 だと思います。AIの電力消費が繰り返し話題になる状況で、選択肢の母集団が増えることに意味があります。

🚧 7. 実用化までの距離 — 何が「まだ分かっていない」か

ここは正直に書きます。今回の成果は研究室での素子レベルの実証であり、製品化の時期は公表されていません。

公表資料から 確認できたこと:

  • 単体素子として、0.1V未満で安定に抵抗変化すること
  • 約121℃近い温度でも動作が継続したこと
  • 室温で6週間以上、機能が維持されたこと
  • 特許出願が済んでいること
  • 次の段階として、チームは手法の洗練と、他の生体模倣エレクトロニクスへの応用の探索を挙げていること

公表資料から 確認できなかったこと:

  • 書き換え耐久回数と、データ保持時間の上限
  • アレイ化したときの特性ばらつき・歩留まり
  • 既存のCMOS製造ラインとの整合性(NSFプロジェクトはCMOSバックエンドとの統合を目標に掲げていますが、今回の論文で実証されたという記載は見当たりません)
  • 電力比の測定条件
  • 製品化の時期

補足として、アブストラクトが3次元ペロブスカイトの Pb2+ に言及していることから、材料系としては鉛を含むハライドペロブスカイトが前提になっている と読めます。鉛系ペロブスカイトは太陽電池でも同じ論点を抱えており、量産を考えるなら環境規制との折り合いは避けて通れないはずですが、この点について公表資料に言及は見当たりませんでした。ここは筆者の読みであり、公式の見解ではありません。

✅ 「6週間」をどう読むか

「室温で6週間以上」は、ペロブスカイト系の素子としては良好な安定性 を示す数字として報告されています。ペロブスカイトは湿気や熱で劣化しやすいことが長年の弱点で、そこを準2次元構造で補ったという文脈です。

ただし、これを 製品のデータ保持要件と同じ物差しで見てはいけません。 一般的な不揮発メモリの製品仕様では、保持期間は年単位(しばしば10年級)で規定されます。6週間は「素子として壊れずに動き続けた期間」であって、「データが消えないと保証された期間」ではありません。桁が2つ違う話です。

とはいえ、これは悲観的な材料ではありません。低い電圧で、フォーミング工程なしで、ばらつきを抑えて動く素子の作り方が1つ増えた ——研究段階のニュースとしては、それで十分に価値があります。全固体電池がそうであるように(トヨタ・日産の量産ロードマップを扱った記事でも書きました)、材料系の技術は実証から量産まで長い距離を歩きます。距離があること自体は、研究の質とは別の話です。

📌 筆者の見方

筆者が最初に引っかかったのは「100分の1」ではなく、0.1V未満 という数字のほうでした。基板を起こす側から見ると、0.1Vは そのままでは他の回路と会話できない電圧 だからです。手元のESP32やSTM32は3.3V系で、ロジックのHighを判定するしきい値は2V前後にあります。0.1Vで動く素子を実際に使うなら、その微小な信号を拾って3.3Vの世界へ持ち上げるセンスアンプや周辺回路が必ず要る。そこで食う電力を足したうえで、システム全体として100分の1になるのかどうか が、実装屋としては一番知りたいところです。これは意見ですが、素子単体の電力とシステムの電力を同じものとして語ってしまうと、たいてい後で辻褄が合わなくなります。

同時に、順序としては素子が先だ、とも思いました。筆者はESP32でセンサーロガーを組むとき、ディープスリープの待機電流をμA単位で削る作業をします。ところが実測すると、その積み上げは microSDへ書き込む一瞬 であっさり相殺されます。記録する行為そのものが重いのであって、そこは自分の回路設計の工夫では下げようがない。素子側の消費が桁で軽くならない限り、システム側でいくら削っても頭打ちになる。 だから「0.1V未満で書けた」という報告は、順番として正しい方向を向いていると受け止めました。

「室温で6週間」も、自分の物差しに落とすと見え方が変わります。筆者が作るデータロガーなら6週間の保持でも実用になる場面はありますが、人に渡す製品では到底足りません。同じ数字が、研究の指標としては十分で、製品の仕様としては全然足りない。 研究段階のニュースを読むときは、この二重の物差しを持っておくのが健全だと感じています。なお材料化学は筆者の専門外で、界面をπ-πスタッキングで揃えるという設計の難しさは想像するしかありません。それでも「分子を整列させてフィラメントのばらつきを抑える」という発想は、再現性を上げるために構造を先に決める という点で、基板の配線を引くときの考え方とよく似ていると思いました。

まとめ

  • ペンシルベニア州立大の研究チームが、銀ナノ粒子を含む合成DNAと準2次元ハライドペロブスカイト を組み合わせたメムリスタを報告しました。論文はAdvanced Functional Materials(DOI: 10.1002/adfm.202530539)に2026年1月19日に公開、大学リリースは2月24日です。8月中旬に流れた記事はこの再掲 で、新しい実験結果が追加されたわけではありません。
  • メムリスタ は抵抗・コンデンサ・コイルに続く第4の受動素子で、抵抗値そのものが電流の履歴で決まり、電源を切っても保たれます。実装側の呼び名がReRAMです。
  • in-memory computing は、メモリとCPUのあいだでデータを往復させるフォンノイマンボトルネックを避け、素子が並んでいる場所で積和演算を終わらせる考え方です。ただし 今回の素子でこれが実証されたという記載は公表資料にありません。 助成プロジェクトの目標には掲げられています。
  • 数字の切り分けが重要です。0.1V未満・100分の1(従来型メモリ比)・10分の1(同種技術比)・約121℃・室温6週間 はこの素子について報告された値、1グラムに約2.15億GBDNA一般の理論値 であってこの素子の記憶密度ではありません。
  • 電力比の測定条件、書き換え耐久回数、データ保持時間は公表資料から確認できませんでした。アレイ化や量産性、CMOSプロセスとの整合も未確認です。製品化の時期は公表されていません。
  • 製品の最前線が「価格と密度」を競っている一方で、研究の最前線は「1回の記憶に要するエネルギーの桁」を変えにきています。土俵が違う2つの前進 として読むのが正確です。

よくある質問(FAQ)

Q. 何が報告されたのですか?

A. ペンシルベニア州立大の研究チームが、銀ナノ粒子を含む合成DNAと準2次元(quasi-2D)ハライドペロブスカイトを組み合わせたメムリスタ(不揮発の抵抗変化素子)を作製したと報告しました。動作電圧は0.1V未満で、従来型の記憶デバイスに比べて消費電力が100分の1だと大学リリースは述べています。論文はAdvanced Functional Materials(DOI: 10.1002/adfm.202530539)に2026年1月19日に公開され、大学リリースは2026年2月24日付、特許出願も済んでいます。

Q. メムリスタとは何ですか?

A. 抵抗・コンデンサ・コイルに続く「第4の受動素子」として1971年にレオン・チュアが理論的に提唱した素子で、memory と resistor を合わせた名前です。最大の特徴は、抵抗値そのものがそれまでに流した電流の履歴によって決まり、電源を切ってもその抵抗値が保たれる点にあります。高抵抗を0、低抵抗を1と対応させれば、電源不要で記憶が残るメモリセルになります。実験的な報告は2008年のHP研究所によるものが知られています。

Q. ReRAMとは何が違うのですか?

A. おおまかには、メムリスタが理論側の概念、ReRAM(抵抗変化型メモリ)が実装・製品側の呼び名です。ReRAMは絶縁膜の中に金属イオンや酸素欠陥による導電フィラメントを架けたり切ったりして抵抗を変える方式が主流で、メムリスタ的な振る舞いをします。今回の研究は、そのフィラメントの架かり方をDNA分子の整列によって揃え、低電圧かつばらつきの小さいスイッチングを狙ったものです。

Q. in-memory computing とは何ですか?

A. データを置く場所と計算する場所を分けず、メモリ素子が並んでいるその場所で計算を終わらせる方式です。従来のフォンノイマン型では、計算のたびにメモリとCPUのあいだでデータを往復させる必要があり、この転送が電力と時間の大きな部分を占めます(フォンノイマンボトルネック)。メムリスタのアレイでは各素子の抵抗値を重みとして使えるため、電圧をかけるだけでオームの法則とキルヒホッフの法則により積和演算が成立します。

Q. 「消費電力100分の1」は何と比べた数字ですか?

A. 大学の公式リリースでは、従来型の記憶デバイス(研究者の発言ではフラッシュメモリが例示されています)と比べて100分の1、と説明されています。同じリリースには同種の既存技術と比べて10分の1という記述もあり、比較対象が2種類あります。矛盾ではなく、対象が違います。なお、どちらについても測定条件は公表資料に記載がありませんでしたので、「大学公式リリースでの主張」として扱うのが正確です。

Q. 「1グラムに約2.15億GB」というのは、この素子の容量ですか?

A. いいえ。これはDNAという分子そのものが持つ記憶密度の理論値で、大学リリースが研究の動機を説明する箇所で引用しているものです。塩基配列そのものにデータを書き込むDNAストレージの文脈の数字であり、今回のメムリスタ素子について測定された記憶密度ではありません。素子の記憶容量については「従来型の記憶デバイスより高い」という定性的な説明にとどまり、具体的な数値は公表資料に見当たりませんでした。

Q. この素子で in-memory computing は実証されたのですか?

A. 公表資料からは確認できませんでした。「記憶と処理を同じ場所で行える」というのはメムリスタというデバイス一般の性質として説明されているもので、今回の論文がアレイを組んで演算タスクを実行したという記載は見当たりません。ただし、この研究を支えるNSF助成プロジェクトは名称に In-Memory Computing を含んでおり、目標として明示されています。「目指している方向」と「今回実証されたこと」は分けて読む必要があります。

Q. いつ製品になりますか?

A. 公表資料に製品化の時期の記載はありません。研究室での素子レベルの実証段階で、書き換え耐久回数、データ保持時間の上限、アレイ化したときのばらつきや歩留まり、既存のCMOS製造ラインとの整合性は、いずれも公開範囲では確認できませんでした。チームは次の段階として手法の洗練と、他の生体模倣エレクトロニクスへの応用の探索を挙げています。

Q. これでメモリの値段は下がりますか?

A. 今回の研究は価格や供給とは別の軸の話なので、そう読むことはできません。店頭価格に効いてくるのは、メモリ高騰の記事で扱ったAI向け需要と生産枠の配分や、キオクシアの第9世代QLCのようなビット単価を下げる量産技術のほうです。今回の研究が変えにきているのは、1回の読み書きに要するエネルギーの桁です。

参考

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