「いつもの Arduino スケッチ」の足もとが、静かに、しかし大きく入れ替わろうとしています。2026年7月29日、Arduino は Arduino Core on Zephyr 0.90.0 を公開し、これまでベータ段階にあったこのコアを正式版(stable)としました。ねらいはシンプルで、Arduino の書きやすさはそのままに、その下で動く土台を Zephyr RTOS に載せ替えていく、というものです。
同時に、これまで一部のボードで使われてきた mbedOS ベースの旧コアは非推奨化(deprecation)が始まりました。この記事では、まず「そもそも Zephyr とは何か」を押さえたうえで、「何が変わるのか」「自分のボードは対象か」「導入と mbedOS からの乗り換えはどうするか」を、公式の一次情報にもとづいて Arduino ユーザーの実装目線で整理します。
🔧 1. 何が起きたのか
要点は2つです。
- Arduino Core on Zephyr 0.90.0 が、ベータを卒業して正式版(stable)になりました。 Arduino は数か月にわたるテストとアーキテクチャの改善を経てこの段階に達した、と説明しています。
- mbedOS ベースの旧コアは、非推奨化の段階に入りました。 その理由として Arduino は、mbedOS がすでに End of Life(EOL)に達した点を挙げています。
つまり、Arduino の先進的なボード向けの「土台となるコア」が、mbedOS から Zephyr へと世代交代を始めた、というのが今回のニュースです。
本記事は 2026年7月29日の Arduino 公式ブログを中心に、Zephyr 公式サイト・Arduino 公式ドキュメントなどの一次情報にもとづきます。公式に書かれていない移行の影響(互換性の細部など)は、出典がないため断定しません。実際の挙動は、お手元のボードで確認することをおすすめします。
🌬️ 2. Zephyr とは? — まずはここから
土台交代の話に入る前に、「そもそも Zephyr って何?」を押さえておきましょう。名前を初めて聞いた方も、ここだけ読めばこの先の話についていけます。
RTOS(リアルタイム OS)は、複数の処理を決められたタイミングで動かすための小さな OS です。Linux のような汎用 OS より軽く、「決まった時間内に必ず応答する」ことを重視します。メモリが少なく、反応の締め切りが厳しいマイコンの世界で使われます。
Zephyr(Zephyr RTOS)は、Linux Foundation のもとで開発されているオープンソースの RTOS です。Linux Foundation のプレスリリースでは「2016年に Linux Foundation のオープンガバナンスのもとで発足した、複数のハードウェアアーキテクチャをサポートする、オープンソースでスケーラブルな RTOS」と紹介されています。ライセンスは Apache-2.0 で、商用・非商用を問わず無償で使えます。
大事なのは、特定の一社の持ち物ではないという点です。プロジェクトのメンバーには Intel・Google・Meta・Nordic Semiconductor・NXP がプラチナメンバーとして名を連ね、ST・Arm・Microchip などもメンバーに含まれます。競合するチップメーカー同士が共通の土台に相乗りする、マルチベンダーの運営体制です。実は Arduino 自身も、2023年にシルバーメンバーとしてこのプロジェクトに参加しています。
技術的な性格は、公式ドキュメントの言葉を借りれば「リソースに制約のある組み込みシステム向けに設計された、小さなフットプリントのカーネル」。つまり、メモリの少ないマイコンで動かすことを前提にした軽量 OS です。それでいて守備範囲は広く、公式サイトによると小さな Cortex-M からマルチコアの 64bit CPU までスケールし、対応ボードは 1000 を超えます。採用分野についても、公式サイトは「工場のフロアからフィットネストラッカーまで」と表現し、産業機器・車載・スマートシティ・スマートホームを挙げています。
では、なぜ Arduino は次の土台に Zephyr を選んだのでしょうか。直接のきっかけは、Arm が mbed プラットフォームの EOL(2026年7月)を発表したことです。Arduino は数年前から代替を探していたと公式ブログで述べており、2024年12月のベータ発表では Zephyr を「よりモダンで、スケーラブルで、機能の豊富な RTOS」と位置づけ、「Arduino の手軽さと、モダンで堅牢な RTOS の力の、両方のいいとこ取り」を狙うと説明しました。使い慣れた言語とライブラリはそのままに、下の土台だけを強くする——それが今回の世代交代の設計思想です。
Zephyr がなぜ業界標準になりつつあるのか——半導体ベンダの公式 SDK 採用、エコシステムの好循環、採用調査の数字——は、別記事「Zephyr RTOS はなぜ標準になりつつあるか|組み込み最短入門」で一次情報ベースで深掘りしています。Zephyr そのものに興味が湧いた方はそちらへどうぞ。
🏗️ 3. 「土台交代」の意味 — mbedOS コアから Zephyr コアへ
Arduino のスケッチは、そのままではハードウェアを直接叩いているわけではありません。あいだに「コア」と「土台の OS(RTOS)」が入っています。今回変わるのは、いちばん下に近い土台の層です。
graph TD
A["あなたのスケッチ(.ino / Arduino API)"] --> B["Arduino コア"]
B --> C["RTOS 層(従来: mbedOS → 今後: Zephyr)"]
C --> D["ハードウェア(各ボードの MCU)"]
いちばん上の「スケッチ」と「Arduino API」は、これまでと同じ感覚で書けます。入れ替わるのはその下の RTOS 層です。従来と今後を並べると、次のようになります。
| 項目 | 従来(mbedOS コア) | 今後(Zephyr コア・0.90.0〜) |
|---|---|---|
| 土台の RTOS | mbedOS | Zephyr |
| 位置づけ | 非推奨化を開始(mbedOS が EOL) | 正式版(stable) |
| 書き方 | Arduino スケッチ | 同じく Arduino スケッチ(標準 API 互換) |
| ねらい | — | RTOS の機能を Arduino から活かす |
土台が Zephyr に載れば、前の節で見たマルチベンダー体制のもとで育つ豊富なドライバや RTOS の機能に、Arduino の書きやすさを保ったまま手が届きやすくなります。
📋 4. 自分のボードは対象か
0.90.0 の正式版が対応するボードは、公式ブログによると次の10種類です。Nano RP2040 Connect が今回新たに加わりました。
| ボード | Zephyr コア対応 | 今回のトピック |
|---|---|---|
| Arduino UNO Q | ○ | |
| Portenta H7 | ○ | SD カード対応が追加 |
| Portenta C33 | ○ | SD カード対応が追加 |
| Opta(microPLC) | ○ | |
| GIGA R1 WiFi | ○ | |
| Nano Matter | ○ | |
| Nano RP2040 Connect | ○ | 今回新たに対応 |
| Nano 33 BLE | ○ | PDM(デジタルマイク)対応 |
| Nicla Sense ME | ○ | |
| Nicla Vision | ○ |
Nano RP2040 Connect が対応に入ったことで、Arduino の標準的な API 互換を保ちつつ、RP2040 の上で Zephyr の力を使える、と公式は説明しています。
🎤 5. 新機能と、工作へのつながり
0.90.0 では、正式版化とあわせていくつかの機能が加わりました。どれも「工作で何ができるようになるか」に直結します。
- SD カード対応(Portenta H7 / C33):データの記録や、外部メモリ上でのファイル管理ができるようになりました。ロガーやデータ収集の工作で効いてきます。
- PDM ライブラリ対応(Nano 33 BLE):デジタルマイク入力に対応し、公式の説明では「オーディオサンプリング、ノイズ検出、そしてエッジ AI の音声処理」を狙えます。マイコン単体で音を扱う工作の幅が広がります。
- ユニバーサル自動ローダー同期:すべての対応ボードで自動的に有効になり、スケッチのアップロード時に互換性を保つよう自動で更新されます。移行の手間を減らすしくみです。
とくに PDM 対応は、「小さなボードで音を聞き分ける」タイプの工作(見守りデバイス、音のトリガー、簡単な音声インターフェースなど)を、標準のライブラリの範囲で試しやすくする一歩です。
🔄 6. 導入手順 — mbedOS コアからの乗り換えも同じ流れ
公式ブログと公式ドキュメント(GitHub リポジトリの README・Arduino Help Center のガイド)の記載にもとづいて、導入からスケッチ書き込みまでの流れを手順にまとめます。
- Arduino IDE 2.x を用意する:Zephyr コアがサポートするのは IDE 2.x 系のみ、と公式リポジトリに明記されています。
- ボードマネージャでコアを入れる:「ツール → ボード → ボードマネージャ」で「zephyr」を検索し、「Arduino Zephyr Boards」(0.90.0 以降)をインストールします。Arduino UNO Q の場合は専用の「Arduino Uno Q Board」プラットフォームを選びます。
- ボードを選んでスケッチをアップロードする:対応ボードをデータ通信対応の USB ケーブルでつなぎ、ボードを選択して、いつもどおりアップロードします。Zephyr ボードの初回利用時には「Zephyr loader」という小さなファームウェアの導入が必要ですが、0.90.0 からは自動化されており、最初のスケッチをアップロードすると自動でインストールされます。以降のアップロード時も、loader のバージョンが自動でチェック・更新されます。
- 例外だけ確認する:Portenta C33 のみ、初回に手動でのブートローダー更新が必要です(一度済ませれば、以降は自動更新が効くと公式ガイドに記載されています)。手動での loader 書き込み手順(RESET ボタンのダブルクリックでブートローダーモードに入れ、IDE から「ブートローダーを書き込む」を実行)を含む詳細は、公式のステップバイステップガイドにまとまっています。
従来 mbedOS コアで書いていたスケッチも、IDE でコアを切り替えてアップロードするだけで、前述の自動ローダー同期により対応できる、と説明されています。
- 公式ガイド:Install the Zephyr loader on your board(Arduino Help Center)
- ソースコード・技術情報:arduino/ArduinoCore-zephyr(GitHub)
なお、mbedOS コアそのものは非推奨化が始まっています。今すぐ動かなくなるという記述は公式にはありませんが、新しく作るなら Zephyr コアを土台に選んでおくのが素直な流れになりそうです。
コアの土台が変わると、タイミングや周辺ライブラリのふるまいに差が出る場面もあり得ます。公式は自動ローダー同期で移行を軽くしていますが、既存スケッチを移す場合は、いきなり本番に載せず、まず手元で動作を確認するのが安全です。ここは公式の断定ではなく、一般的な移行の心得としての注意です。
🧑💻 7. 筆者の見方
筆者は Arduino を入口に電子工作を楽しんできた立場ですが、今回の「土台を Zephyr に載せ替える」動きは前向きに受け止めています。Arduino の良さは、なんといっても書きやすさと情報量の多さです。その入口の手軽さを保ったまま、下の土台が業界で伸びている Zephyr になれば、マルチタスクや豊富なドライバといった RTOS の恩恵に、より自然に手が届くはずです。
とくに、Nano 33 BLE の PDM 対応で「マイコン単体の音声・エッジ AI」が標準ライブラリで扱いやすくなるのは、工作のアイデアが広がると感じます。一方でこれは意見ですが、長く使ってきた mbedOS コアの卒業には少し寂しさもあります。既存スケッチの移行は、細部のふるまいを実機で確かめながら進めるのがよいと思います。本記事は特定製品の購入を勧めるものではありません。
まとめ
- Arduino Core on Zephyr 0.90.0 が正式版(stable)になり、Arduino の土台が Zephyr RTOS へと世代交代を始めました。
- mbedOS ベースの旧コアは非推奨化が始まりました(理由は mbedOS の EOL)。
- 対応は10ボードで、Nano RP2040 Connect が新規追加。Portenta H7/C33 の SD カード対応、Nano 33 BLE の PDM(デジタルマイク)対応などが加わりました。
- 移行は、IDE で「zephyr」0.90.0 を入れて切り替えるだけ(自動ローダー同期)。細部の挙動は手元で確認しておくと安心です。
土台が変わっても、書くのは「いつもの Arduino スケッチ」です。手軽さはそのままに、できることが増えていく——そんな前向きな一歩といえます。
よくある質問(FAQ)
Q. 0.90.0 で何が変わりましたか?
A. Arduino Core on Zephyr がベータを卒業し、正式版(stable)になりました。あわせて mbedOS ベースの旧コアの非推奨化が始まっています。
Q. いつもの Arduino スケッチはそのまま動きますか?
A. 公式は、標準の Arduino API との互換を保つように設計されていると説明しています。移行は IDE でコアを切り替えてアップロードするだけで、自動ローダー同期が働きます。ただし細部の挙動は、念のため手元で確認することをおすすめします。
Q. mbedOS コアを使っていました。何をすればよいですか?
A. Arduino IDE のボードマネージャで「zephyr」を検索し、0.90.0 をインストールしてコアを切り替えます。旧 mbedOS コアは非推奨化が始まっているため、新規開発では Zephyr コアを選ぶ流れになりそうです。
Q. 自分のボードは対応していますか?
A. 公式ブログでは10ボード(UNO Q、Portenta H7/C33、Opta、GIGA R1 WiFi、Nano Matter、Nano RP2040 Connect、Nano 33 BLE、Nicla Sense ME、Nicla Vision)が挙げられています。Nano RP2040 Connect は今回新たに加わりました。
Q. Zephyr コアになると何がうれしいですか?
A. RTOS の機能に手が届きやすくなります。具体的には、Portenta の SD カード対応や、Nano 33 BLE の PDM(デジタルマイク)対応など、工作に直結する機能が使えるようになりました。
参考
- Arduino Core on Zephyr 0.90.0 is officially stable and leaving beta(Arduino 公式ブログ)
- Arduino Core on Zephyr Work Hits a New Milestone, Prepares to Exit Beta(Hackster.io)
- The end of Mbed marks a new beginning for Arduino(Arduino 公式ブログ)
- Introducing Arduino cores with ZephyrOS (beta)(Arduino 公式ブログ)
- Install the Zephyr loader on your board(Arduino Help Center)
- arduino/ArduinoCore-zephyr(GitHub)
- Zephyr Project 公式サイト
- Zephyr Documentation — Introduction
- Zephyr Project Members(メンバー企業一覧)
- Zephyr Turns 10(Linux Foundation プレスリリース)